カンボジア、沢田教一、現代史

 先日、インドシナ難民の明日を考える会の永瀬一哉氏にお話しを伺う機会があり、(実際にはワケあって聞き損ねたのだが)その準備でカンボジアについて色々調べたりすることになった。恥ずかしい話だが、ベトナムカンボジアもよくわからないままオトナになってしまった自分としては、とても勉強になり、多くを考えさせられた。
 昨日も朝日(6.21夕刊)で、ベトナムから強烈なメッセージを送って散ったカメラマン、沢田教一展の話題があった。ベトナムカンボジアパレスチナ…数々の悲劇と、その中から芯の太いメッセージを送り出す人々とドラマがある。それらにもっと目を向け、考えなければいけないと感じたのであった。
 最近、知らないことが恐ろしい。もしかして、知らなかったのは知らされていなかったからなのではと考えてしまう。知らないうちに自分の足下が骸でいっぱいにならないように、私たちは知らなければならない。知るのはエネルギーの要ることだし、大方、心も擦り減るような悲しい事実だ。情報は一見、あふれているように見えて、殆どすべてが商業主義の使い古しと、横並び主義の使い回しで、ネットで何時間検索しても、同じ所をグルグル回っているだけのような徒労感が残るだけだ。


 思えば、子どもの頃、オトナが外国の戦争の話や政治の話をしているとカッコ良く見えたものでした。最近のオトナは、カネの話しかしてないような。

学校では教えてくれなかった現代史を知ろう。そうだったのか! 現代史 (そうだったのか! シリーズ)